前編の「長浜で豊臣秀吉が愛される理由とは?朱印地の境界線を探してみた<前編>」の続きです。豊臣秀吉公と朱印地について書きました。
今回は、江戸時代から現代まで残る「従是○○長浜領(これより○○ながはまりょう)」の石柱を紹介します。
江戸時代から残る「従是○○長濱領」の石柱を探せ!
現代の地図で表示すると、以下の赤枠の中が江戸時代の朱印地です。(1)〜(5)まで数字をふったところに江戸時代からの石柱があります。
私の独断で「見つかりやすさ難易度」を付けさせていただきました。
1.「初級」北国街道沿いにある江戸時代の石柱
北国街道沿いを歩いているとすんなり見つかります。
2.「上級」びっくり!橋の下に眠る石柱
早速ですがこの記事のピークです。
この辺りのはずですが。見当たりません。地面の中?
道路と交差するように川があり、橋になっています。橋の下を除いてみると。
ドオオオオン!な、なんと橋の下にあるんです!!「従是西長」までは読めます。これぞナガジンのテーマである「!」が見つかりました。
3.「見つかれば超級」豊臣秀勝公菩提寺の妙法寺前にある石柱付近
↓写真は平成15年に建てられた新しい石柱です。
説明書きを読んでみます。写真では読みづらいので。こちらに↓
三百石朱印地(長浜領)境界石柱
この石柱は、豊臣秀吉公が天正十九年(一五九一)五月九日の朱印状で定めた「三百石朱印地」の境界石柱を復興したものである。秀吉公は造成した長浜町に、年貢免除の特権を与えたが、これを朱印地と呼んだ。慶安四年(一六五一)に、この朱印地の内外を区別するため、石柱が建立された。ここから約二十メートル西にはその内の一本が、当時のまま残っているが、今回この石柱を含め三十本の石柱を、当時の建立地を推測して復興した。
約二十メートル西には川があるのですが、探しても見あたりません。どこかへ移動されたのでしょうか。ここだけ見つからず。。残念です。
4.「初級」三ツ矢大神宮前にある石柱
こちらはすぐに見つかります。「従是南長濱領」と書かれていて見るからに古そうですね。
5.「中級」西本願寺長浜別院の庭に溶け込む石柱
道路沿いにあるのかなと思っていたら、お寺の中にありました。「従是東長濱領」と書かれています。
偶然にも長浜の石柱事業に携わった方と出会う
5本の石柱をまとめると以下の場所に設置されています。(1本は不明)
【この写真を撮り回っている際の出来事】
散歩中の男性に「今、何を撮ってた?」と声をかけられました。一瞬、怒られるのかと思いましたが「この石柱に関心があり。。。」と言うと。「おお!そうかぁ〜若い人にもっと知ってもらいたいんや〜」その方は吉田さんという方で、実はこの石柱事業に携わった方でした。あまりにもGoodタイミングすぎてビックリしました。
3つ目の見つからなかった石柱について聞きましたが、どこかへ片付けられているか、火事が起きた際に無くなったとか不明のようです。
その後、橋の下にある江戸時代の石柱や、本来の長浜城の外堀の広さをその場所まで連れて行って教えてもらい、歴史ある長浜をこれからも大事にしてほしいと話されていました。
ぜひ皆さんも宝探し気分で探してみてください!秀吉公が始めた朱印地の石柱探し、後世に残そうとする人の長浜愛を感じることができますよ。