ナガジンとは?

長浜城歴史博物館
ナガジン 滋賀県長浜市の「!」が見つかるWebマガジンは、長浜の魅力をハッケンするWebマガジンです。長浜で見つけたものを自らの体験を元に、独自視点で深堀りしブログ記事を作っています。

ときどき「なんでナガジンなの?」と聞かれますが、名前の由来は、“長浜人”と“Webマガジン”という言葉をかけ合わせてナガジンと名付けました。

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私たちがナガジンをつくっています!

ムラカミ

長浜市内でWebデザイン制作・企画を行っています。昔から収集癖があるようで、レコード、フィギュア、自転車の部品といろいろ集めましたが、まさか琺瑯看板の写真やマッチ箱を集めるようになるとは、想像もできませんでした。好きな映画は、長浜でもロケをされた「男はつらいよ」です。
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アサイ

長浜市在住のフォトグラファーです。お祭りが好き。普段は撮る側だけど、撮られるのが実は好き。「大丈夫!」という口ぐせは自分へのおまじない。
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浅井千穂のWEBサイト,Facebook

アイザック

ハローマイフレズ!アメリカのアーカンソー州からやってきたアイザックです。みんなにアーカンソーってどこ?って聞かれますが、クリントン元大統領の出身地と答えると、なぜかすごく納得されます。普段は英語のティーチャーをしています。
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ナガジンをはじめるきっかけは、自分のルーツが気になったことから

数年前に実家の押入れを掃除していた際に、亡き祖父のアルバムの中にあった1枚の写真を見つけました。

祝町の写真

1933年 祝町の写真

最初これはどこの写真かわかりませんでしたが、父親に聞いたところ今も長浜に建物が残っていることを知りました。

林屋本店
長浜の昔と今の風景を写真で見比べてみよう〜タイムスリップ長浜〜祖父のアルバムの中から出てきた長浜の古い写真。これを使って長浜の昔と今の写真をくらべてみたら面白いのでは?80年以上前の写真と現在を比較して見ました。...

祖父・祖母、父・母が兄弟たちと過ごした当時の長浜の風景はどんな街で、どんな時間を過ごしたんやろう?

この時に自分のルーツに興味を持ったことから、長浜の過去と現在と未来をWEB上に残していけたら面白いと思ったのが、ナガジンをはじめたきっかけでした。

ナガジンをこんな人に読んでもらいたい!

1. はじめて長浜に来る人へ

これから長浜を訪れる人に「へぇ〜長浜ってこんなところがあるんだ〜。」ということを知ってもらい、さらに楽しい旅にしてもらいたいです。

▼はじめて長浜観光をされる方はこちら

長浜観光の人気観光スポット
長浜観光に来たら必ず行っておきたい人気スポットまとめ【お得な割引券アリ!】長浜をはじめて観光する人に行ってもらいたい、人気観光スポットをまとめました。...

2. もう一度、長浜を旅行したい人へ

楽しい旅行にするには、誰と行くか、あるいは「誰と出会うか」が重要です。旅先で出会った人との会話や親切にされたことで、人の印象に残り大きな思い出となります。前回訪れた際よりも、さらにもう一歩踏み込んだ長浜を紹介します。

3. むかーしむかし長浜で過ごした人へ

長浜の対岸にある今津から見た長浜の町
対岸の今津から見た長浜市

高校時代まで長浜に住んでいた、就職・結婚するまでは長浜に住んでいた、引っ越す理由は様々です。一旦長浜を離れたから見えるものがあります。当時と変わっていない長浜を懐かしんだり、新たに人が加わり、あの頃と変わった長浜を楽しんでみてください。

もちろん、長浜に住んでいる人たちや、長浜で働いている人たちにもナガジンを読んでもらいたいです。知っている町なだけに、そんなこと知ってるわ〜と当たり前に思うこともあると思いますが、おもしろい情報やアドバイスがあればぜひ教えてください!

長浜のことを知らない人へ簡単に紹介します。

滋賀県の北部にある長浜市。市街地は、世界各国や日本の地方都市と同じく、都会への人口進出により過疎化、シャッター通りと転じていました。

そんな流れを変えようと1988年に立ち上がったのが長浜の黒壁。戦時中に空襲対策に為された黒塗り壁(灯火管制)の建物を利用し、ガラス細工を用いた地域おこし。民間主導でまちづくりが行われ、今では年間200万人も訪れるような観光地です。

長浜市合併前後の地図

そして、2006年2月(旧)長浜市と東浅井郡浅井町、びわ町が合併し、新しい長浜市として統一され、2010年1月に東浅井郡虎姫町、湖北町、伊香郡高月町、木之本町、余呉町、西浅井町を編入し、人口はおよそ12万人の市となりました。

戦国武将の羽柴秀吉公が使った馬印が、ひょうたんだった。

長浜を歩いてみると、“ひょうたん”がたくさん目に入ります。「なぜひょうたん?」と疑問になる人が多いようです。

その昔、この地は今浜と呼ばれていました。

姉川の戦い(1570年)の後、織田信長に領地を与えられた羽柴秀吉が、築城の際に「長浜」と地名を改め、まちづくりが行われました。

豊臣秀吉の馬印

※馬印:戦いの際に武将が掲げる目印

出陣の際に用いられる羽柴秀吉公(太閤様)の馬印であった「ひょうたん」を市章・市旗に採用されるほど、「太閤様のお膝元」という意識が強い街です。

長浜市役所の市章
長浜市役所の市章

長浜のマンホール

長浜のマンホール
マンホール

マンホールにもひょうたんが描かれています。町のいたるところにひょうたんがあるので、町を歩きながら探してみると楽しいです。

▼なぜ長浜はひょうたんの街なのか?

豊臣秀吉公の馬印
なぜ長浜はひょうたんの町なのか?ひょうたんのある風景10選ひょうたんを撮り集めて何になるわけではありません。長浜へ訪れる方は、なぜひょうたんなの?と感じている人もいるのではないでしょうか。...

長浜を歩く度に小さなハッケンや出会いがある素敵な町です。まずは長浜の 見どころ>> からご覧ください。