滋賀県長浜市にある臨済宗妙心寺派の平安山良疇寺(りょうちゅうじ)。
こちらの境内には、琵琶湖を背にして大きな大仏さまが立っておられます。
その名も「長浜びわこ大仏」です。
いつも琵琶湖沿いの湖岸道路(滋賀県道2号線)を車で走ると、通り過ぎてしまう良疇寺へ行ってみました。
平安山良疇寺(りょうちゅうじ)と長浜びわこ大仏
平安山良畴寺は、鎌倉幕府の五代目執権(しっけん)「北条時頼(ほうじょう ときより)」により開創され、天山和尚が1262年に開いたお寺です。
(※2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』主役の北条義時は二代目執権です。)
平安山良疇寺は鎌倉幕府執権最明寺殿北条時頼公により開創された寺である。
諸国巡察のための行脚の途中湖北の地に到った折り、僧形の時頼公に一宿を献じたのが当地に小さな草庵を結んでいた当山開山天山和尚であった。勿論この旅の僧が高貴な人物であることなど和尚は知る由も無い。しかし、和尚と時頼公は肝胆相照(かんたんそうしょう)し、話は山雲海月の情を尽くしたと伝えられている。鎌倉に帰るや時頼公は自ら本尊阿弥陀三尊を刻み、当山の伽藍を建立し、方三町の田地を寄し、近江守護佐々木道倫に当山安堵を命じたと寺の古文書は伝えている。弘長二年(一二六二)のことである。以後織田信長の兵火による灰滅、天災による琵琶湖中への陥没などを経るも脈々と法燈を守り続けている。湖畔の景勝つを訪れる文人墨客は多く、俳聖松尾芭蕉の逗留の証と言われる自刻の芭蕉像が寺に残されており、境内に三箇所の句碑を見ることができる。
平安山良疇寺の境内
せっかく訪れたのでお寺の境内を少しお邪魔しました。
立派な本堂と手入れの行き届いたお庭です。次は紅葉の季節に訪れてみたいです。
かの有名な松尾芭蕉の句碑。
「四方より 花咲き入れて 鳰の海」
(しほうより はなふきいれて におのうみ)
四方より吹き入れてくる花吹雪で、琵琶湖はすばらしい眺めです。こんな感じの意味でしょうか。
長浜びわこ大仏
名称 | 長浜びわこ大仏 |
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読み方 | ながはまびわこだいぶつ |
建立 | 1994年(平成6年) |
高さ | 約28m |
重さ | 青銅部重量 / 約88トン |
材質 | 青銅 |
琵琶湖に背を向けて立たれているので、午後に訪れると“後光”で眩しかったです。大仏さまの迫力に圧倒されます。
周辺の建物が低い為か、こうやって写真の中に建物が入ると、いかに大きな大仏さまか伺えます。
この辺りで暮らす人は、大仏さまにちゃんと見守られているような気分になりますね。
ちなみにですが、現在の大仏さまは2代目(1994年建立)で青銅製なんですよ。初代の大仏さまはコンクリート製でした。
初代の長浜びわこ大仏について
子供の頃に見た記憶だと、コンクリート製の大仏さまだったので、少しだけ調べてみました。
初代の大仏さまを、「護国阿弥陀如来(ごごくあみだにょらい)」と呼んだそうで、現在の2代目から「長浜びわこ大仏」と名乗るようになりました。
それでは、初代の護国阿弥陀如来はどんな姿をされていたのでしょうか?
どこかに昔の写真が無いものかと探したところ、叔母の中学校時代の卒業アルバムの中で見ることができました。
想像以上にポップな印象な大仏さま。親近感が沸きます。学生服を着たような人だかりがあるので、学校行事で訪れた際の写真のようです。
これ結構、長浜の人でもあやふやな記憶で「昔は琵琶湖側を向いていた説」が出たりするんです。
正解は、「現在と同じように琵琶湖に背を向けて立たれています。」
1937年(昭和12年)に建立されたコンクリート製の大仏で、老朽化で1992年(平成4年)に解体されました。
その後、1994年(平成6年)に現在の青銅製の長浜びわこ大仏が建立されます。
解体された初代の阿弥陀如来像は、大仏殿北にある納骨堂に埋土されています。
長浜びわこ大仏御朱印について
平安山良疇寺は、滋賀県内の有名な108つの寺院を巡るびわ湖百八霊場(びわこひゃくはちれいじょう)の第45番札所でもあります。
お寺の玄関口で御朱印(¥300)をいただきました。
長浜びわこ大仏(平安山良疇寺)へのアクセス
普段からお寺の前を通過するだけだったので、なかなか立ち寄ることがなかったスポットですが、真下から見上げると大仏様の迫力に圧倒されてしまいました。
バイクや自転車でビワイチすると必ず通過するお寺です。長浜へ入るとすぐに目に止まるので、訪れた際は立ち寄ってみてください。
名称 | 長浜びわこ大仏(平安山良疇寺) |
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住所 | 滋賀県長浜市下坂浜町86 |
アクセス | JR北陸線長浜駅より徒歩約20分、車で約5分 |
花のみごろ | ●梅(3月) ●桜(4月) ●ツツジ(5月) ●サツキ(6月) ●蓮(8月) ●もみじ(11月) |
駐車場 | あり |