まち歩きが好きです。
先日、石田三成さんの故郷である長浜市石田町を歩いた時、1つ感じたことがありました。
滋賀県長浜市石田町出身、安土桃山時代の武将・大名。
天下分け目の関ヶ原の戦いで、東軍徳川家康に対し、西軍の指揮をした。歴史上評価の善し悪しが分かれる人物でもある。
「え?こんなに住宅地の中を歩いていいの?」
外部の人間が住宅地を歩き回るなんて、このご時世どこの町も懸念されますが、ここ石田町は遠方からも歴史好きの石田三成ファンが大勢訪れる町です。
その際に、石田会館だけではなく、石田三成公にゆかりのある町の中を歩いてもらう工夫がされています。
その工夫とは?
石田三成さんのシンボルマークが灯篭のデザインに
↓このような灯篭が町の至る所に設置されています。
レトロな雰囲気のあるおしゃれな灯篭です。よく見てみると、
三成さんのシンボルマーク「大一大万大吉」の文字が書かれていて、幼少の頃、豊臣秀吉さんとの出会い(三献の茶)のシルエットが灯篭にデザインされています。
▼豊臣秀吉さんとの出会い(三献の茶)についてはこちら
石田会館の敷地内にある石田三成の灯篭
その灯篭には、1つ1つ戦国時代の武将の名前が付いています。
石田会館の敷地内の灯篭には、もちろんこの方の名前が。
石田会館でもらった石田町まっぷによると、このように名前の入った灯篭が、町中に14基あるそうです。これは探したくなる。
関ヶ原の戦いは、現代の会社の役職で現すと副社長と社長室長の戦い
どんな人物の名前が灯篭に入っているのだろう。灯篭探しの前にざっくりでも関ヶ原の戦い(1600年)の話をしておかないといけません。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉社長が亡くなった後に、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こります。東軍 徳川家康さん VS 西軍 石田三成さんが中心となった戦いです。
2人の力の差は歴然。現代の会社の役職で現すと、徳川家康さんは副社長で、石田三成さんは、今でいう社長室長のような立場でしょうか。(課長くらいかな?)
大軍が関ヶ原で集結しますが、西軍の中で東軍に寝返りが起こり、結果、西軍側が敗れます。
ここは西軍石田三成さんの町。この関ヶ原の戦いで共に戦った西軍の仲間や、特に三成さんと繋がりの深い人たちが紹介されています。
石田町を歩きながら戦国時代関ヶ原の戦いを学ぶ
石田会館でもらった地図を頼りに14箇所設置されているのを探してみました。※ここからは、ひたすら灯篭の写真が続きます。
1. 三成の娘婿「石川貞清」の灯篭
いきなりですが、石川貞清って誰?となっても大丈夫。ちゃんと石田三成との関係や解説が灯篭の下に書かれています。
2. 東の盟友「直江兼続」の灯篭
何年か前の大河ドラマ「天地人」で主役になった愛の兜がシンボルの人物です。
分からなかったらお家に帰ってから調べてみましょう。妻夫木くんが出てきます。
3. 三成の盟友「大谷吉継」の灯篭
三成さんの親友で、西軍の寝返りを早々に感づいており、関ヶ原の戦いのMVPといってもよい人物です。
あまり歴史を詳しくない人でも、大抵が「頭巾をかぶった」と言えば「あぁ〜知ってる」となります。
4. 三成の兄「石田正澄」の灯篭
弟はドラマにいつも出てくるくらい有名人ですが、お兄さんの事が書かれている場所は、全国探してもそうそうありません。
5. キリシタン大名「小西行長」の灯篭
こんな感じでお家の前に、建てられています。
もともとは商人であった人物ですが、この後(13)で出てくる宇喜多秀家のお父さんに才能を認められ武士になりました。この方も関ヶ原の戦いの後、処刑されます。
6. 三成の父「石田正継」の灯篭
お家の敷地内にあるのでは?と思うくらい、家のすぐそばにある。
お兄さんと同様に、お父さんも紹介されている場所は見た事がありません。
7. 三成の忠臣「磯野平三郎」の灯篭
三成さんと最後の最後まで付き従った家臣。浅井家に仕えた磯野員昌の孫。
8. 信州の勇将「真田昌幸」の灯篭
次の真田昌幸という人物は、大坂の陣で活躍する真田幸村(ゆきむら)のお父さんです。
関ヶ原の戦いに加わるはずであった、東軍徳川家康の息子を信州で食い止めました。めちゃくちゃすごいお父さん。
9. 三成の右腕「島左近」の灯篭
「三成のくせにあんなすごい人が部下に!?」とまわりの同僚に嫉妬されるくらいの人物です。いやいや三成さんだから島左近を仲間にできました。
10. 同僚の行政官「長束正家」の灯篭
三成さんと同様に五奉行の一人に数えられました。この人の特技は計算です。
11. 出世城横山城主「羽柴秀吉」の灯篭
羽柴(豊臣)秀吉さんです。この人がいなかったら、石田三成さんは広く知られていなかったでしょう。
12. 毛利家の外交僧「安国寺恵瓊」の灯篭
関ヶ原の戦いの後、三成さんと共に処刑された人物。
毛利家の外交僧と書かれている通り、この時代は僧侶が外部の国と交渉に携わることがありました。
13. もう一人の西軍首脳「宇喜多秀家」の灯篭
解説のプレートに書かれているキャッチコピーがいいですね。「もう一人の西軍首脳」ちなみに、もう一人は見当たりませんでした。
14. 敵中突破の剛勇「島津義弘」の灯篭
関ヶ原の戦いで、西軍が負けたとわかると敵の中突破したと書かれている。
石田町の方からの“おもてなし”全ては石田三成公の面影と出会うために
戦国時代の歴史好きの中でも、特に関ヶ原の戦いの西軍側の武将好きには、たまらない町です。
石田三成さんは「大一大万大吉」一人が万人のためと旗に用いるくらいの人物であり、今も石田町の人に受け継がれ、石田三成公の面影に出会うために訪れる人を、もてなす工夫がされています。
歴史上の戦いで負けた者は、なんの言い訳もできず、どうしても悪く描かれてしまい、400年以上も前の歴史で、何が本当で何が嘘なのかもわかりません。
東軍武将のゆかりの地も、東軍目線で歴史が伝わっています。双方の視点を知り自分の中で組み立て、何を信じて誰に惚れるかが、私なりの歴史の楽しみ方であって、観光で訪れる人の特権です。
滋賀県長浜市にゆかりのある人物の歴史をもっと知りたいです。大袈裟かもしれませんが、生きていくヒントが、歴史の中にあるんじゃないか?とも感じています。
ちなみに、最近戦国時代の歴史に関心を持ちつつある方は、司馬遼太郎さんの「関ヶ原」を読んで、藤沢周平さんの「密謀」をぶっとおしで読んでから石田町を訪れると、きっと楽しさが倍増しますよ。(あなたも西軍寄りの見方になりますが)ぜひ読んでから毎年11月に行われる石田三成祭へ訪れてみてください。
石田三成祭
石田三成祭のイベント情報が随時お知らせされるので、チェックしておきましょう。楽しみですね。
住所 | 滋賀県長浜市石田町治部576 <Googleマップ> |
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TEL | 0749-62-8285 |
料金 | 無料 |
主催 | 石田三成祭実行委員会 |