日本映画の名作「男はつらいよ」をもう何度みたことだろう。
主人公は、やさしくて人情味あふれて、破天荒なフーテンの寅さん(渥美清)。
1969年に第1作が公開され、これまでお盆やお正月に全50作が公開されてきた。
映画“男はつらいよ”は、笑いあり、涙あり、感動あり、寅さんが恋をしてフラれたり、身内とケンカしたりして、旅に出ていく。
人間の魅力がぎっしりと詰まっていて、この魅力を一言では言い表せないのだが、“男はつらいよを観たら、東京の柴又に行きたい”と思ってしまうくらい“影響力のある映画”だ。
男はつらいよのロケ地にもなった長浜
ここ長浜が舞台となった“第47作「男はつらいよ〜拝啓車寅次郎様〜」(1994年)”この頃は、寅さんを演じる渥美さんが病気になられたことで体調を考慮され、寅さんの甥っこの諏訪満男(吉岡秀隆)が話の中心となる。
この映画を平たく言うと、「寅さんとマドンナ・典子(かたせ梨乃)の旅先での出会いと、甥っこである満男が旅先で、もう一人のマドンナ先輩の妹・菜穂(牧瀬里穂)と恋に落ちる」お話。
映像からは寅さんの昔のような力は感じられなくなったものの、ただただ、寅さんから甥っこへの教え、とにかく“言葉の力”は健在で、映画の公開から30年近く経ったいまも、観ている私の胸にまで、ビッシビシ響いてしまう。
映画を何度も見返すうちに、“寅さんが歩いた町を歩いてみたい”そんな思いが高まり、この映画の追体験として、「【ロケ地めぐり】男はつらいよの寅さんが歩いた長浜を探したら旅に出たくなった。」という記事を以前に書いた。
すると、これを読んでくれた長浜の路地裏を愛するゆかいな仲間(路地裏編集室)たちから「同作内で、寅さんの甥っこの満男さんが歩いた長浜を探してみないか?」と、お声がかかり出かけることにした。
正直、胸熱だった。
ここから先は映画のネタバレになるのと、観ていない方にとっては、なんの話かさっぱり分からない話なので、DVDか動画配信サービスで「男はつらいよ〜拝啓車寅次郎様〜」を見て欲しい。
男はつらいよの映画の中で登場した長浜を歩く
近年、アニメやドラマ、映画のシーンで思入れのある場所へファンが訪れることを“聖地巡礼”と呼ぶようになった。
まるで東京・柴又と“毎回異なる地域(旅先)”で撮影をされている“男はつらいよ”のためにあるような言葉だ。
そこで、今回の男はつらいよ長浜散策は、路地裏編集室との共同制作ということもあり、寅さん愛のこもった散策マップを作っていただいた。
男はつらいよの長浜編に特化した、とてつもなく胸熱な長浜散策マップだ!
これを見たとき正直、しびれた。
さぁ、このマップを片手に出かけよう!
映画の中で、寅さんは主に琵琶湖のほとり「菅浦」「大浦」(一部だけ長浜の黒壁スクエア)を中心に登場し、甥っこの満男さんは長浜駅・黒壁スクエア周辺でロケをされている。
曳山まつりの山車を大勢の人が運び出す最中
東京の靴メーカーの営業マンとして働く満男さん。大学時代の先輩である川井信夫(山田雅人)から祭りの誘いをうけ、滋賀県長浜市へ訪れることになる。
長浜に着いた満男。信夫に電話をするも、祭りで忙しいから先に自宅へ行っておいてくれと言われる。この蔵から大きな曳山まつりの山車を大勢の人が運び出す最中の様子が伺えた。
その背景に映る建物は、辻岡豆腐店さん。建物も「とうふ あげ でんがく」の看板も当時のままだった。
タクシーの中から映る長浜の景色
満男は駅からタクシーで、信夫の実家へと向かう。そのタクシーの中から映る景色がこちら。
浜京極のアーケード
映画の中で「浜京極」の文字が一瞬ではあるが映っている。自身の子供の頃の記憶として、昔はこの商店街の中にも映画館があったが今はない。浜京極のアーケードは今も健在だ。
舟板塀
かつては港町として栄えた長浜。
こちらの塀には、舟の廃材が用いていることから、舟板塀(ふないたべい)と言われ、長浜のまち景観を象徴する観光スポットだ。
そして、満男さんがタクシーでたどり着く、先輩の実家がこちら。
鍋庄商店は、マドンナ菜穂の実家として使われた
信夫と妹・菜穂(牧瀬里穂)の実家は川井醤油屋。実際に映画の撮影で使われた鍋庄商店さんも、町の人からは「鍋庄さん」と親しまれている明治初期創業の醤油屋さん。
映画の中では、満男が奥の座敷で昼寝をしていた菜穂の寝顔を見て、初対面にも関わらず激怒される。
屋内の昼寝のシーンも鍋庄商店さんがロケ地だと思っていたが、実際に鍋庄商店の山本さんにお話を聞いたところあのシーンはセットだとの事。ものすごく長浜感のある家だったので、てっきり鍋庄さんで撮影されたものだと思ってしまった。
表の通りで撮影をされており、映画の中では自宅の向かい側が郵便局という設定ではあったが、実際は中日新聞社で郵便局ではない。
映画の公開から30年近くたった今も、寅さんの軌跡をたどり遠方から訪れる観光客は少なくないと聞いた。それに近年は若い人が多いようだ。
満男さんは長浜市の「鍋庄商店」の辺りを歩いた
兄の客人をもてなす為に、長浜観光へと案内する菜穂。
大通寺の表参道と山門
まず向かった先は、真宗大谷派東本願寺の別院 大通寺(長浜御坊)の表参道を歩いた。
大通寺の山門の下で会話をするが、境内の中へは入らず。
大通寺の境内にある加賀の千代女の歌碑
実際は映ってはいないが、菜穂の口から境内に「加賀の千代女の歌碑」があることを告げられている。
大通寺・白壁の塀の前で
この大通寺の白壁の塀の前では、満男が自分よりも年下の菜穂に「おねえさん」と呼んでしまい、火に油を注いでしまった。
満男さんは長浜市の「大通寺」の辺りを歩いた
二人がケンカ別れをした橋
不貞腐れた菜穂に愛想をつかせた満男が、「もう帰る」とケンカ別れした橋の上。郵便ポストは形こそ違えど健在だ。
満男より先回りするために菜穂が通った路地裏。住宅の壁もタイルも当時のままだった。こんな路地裏を人気絶頂期の牧瀬里穂が歩いたと思うだけでドキドキする。
満男さんが犬に吠えられた路地裏
満男が帰るために、勢いで入った長浜の路地裏。急に犬に吠えられてびっくりした拍子に、壁に立てかけられていた木材にぶつかった。
このことがきっかけで二人の顔に笑顔が。
【黒壁スクエア】仲直りしたあとのカフェテラス
映画のシーンでは、さっきまでの機嫌がなおり、カフェテラスで二人が仲良く話していた。現在はカフェではなく黒壁オルゴール館になっている。
満男さんは長浜市の「黒壁スクエア」の辺りを歩いた
長浜曳山まつりを観覧した大手門通りの商店街
黒壁スクエアの大手門通り商店街で長浜曳山まつりを観覧していると、二人の話を盗み聞きしていた寅さんが突然後方から現れた。
満男さんは長浜市の「黒壁スクエア」の辺りを歩いた
柴又のさくらさんに長浜で寅さんと出会ったことを伝えた
最後はこちら。実はここも映画で出てきた重要な場所だ。
当時ここにはスタンド型の公衆電話があった。
満男が柴又のさくらさんへ連絡し、長浜で寅さんと偶然出会ったことを伝えた場所。この頃は公衆電話で電話することが当たり前の時代だったが、今はもうない。
ただ足元をよく見ると、公衆電話の痕跡は確かにあった。
以降、お話は東京(柴又)へ。
男はつらいよの映画の中の景色がほとんど残されていた長浜
公衆電話を除くと、映画の中の景色がほとんど残されていたことに驚く。
そのため、実際の映画のシーンを思い出すと、男はつらいよの世界観に没入することができ、より映画の凄さを感じられた。
映画を観ていない人にとっては、何でもない場所であっても、好きな人にとっては、映画を観てロケ地巡りをして、映画の追体験ができることは本当に幸せなことだと常々思う。
最後になるが、当時の事情を知っている方からお話が聞けると、よりリアリティがある貴重な体験になることをおもい知った。
映画を楽しみ、町の再発見へと繋がるなんてこんな面白いことはない。
(写真撮影:長浜賢太郎、路地裏編集室、ナガジン)
路地裏編集室メンバーの記事が完成!
今回一緒に長浜を散策してくれた「路地裏編集室」の皆さんの記事が完成した。また違った視点で楽しめるので、こちらの記事もあわせてみてほしい。(追記:2024.5.5)
●ブラリ民散歩 ~『男はつらいよ』寅さんの甥っ子・満男が歩いた長浜を辿って~
【前編】寅さんが歩いた長浜はこちら
寅さんが歩いた琵琶湖のほとり「菅浦」「大浦」(一部だけ長浜の黒壁スクエア)の記事はこちらから。